東日本大震災から15年が過ぎ、震災を知らない子供たちも増えてきた。その年から遡ること33年前には宮城県沖地震を経験した。その時の被害写真で印象に残っているのが、一階部分が押しつぶされ、2,3階も変形したマルハのビルである。
今朝の新聞に”宮城県沖地震 備え再確認を”と言う見出しと一緒その写真が掲載されていた。そうか宮城県沖地震の時は高校生だったなあ・・・・・・・・。
1978年6月12日、ちょうど午後3時過ぎだったと記憶している。強い揺れで堅いアスパルトがまるで生き物のようにグニャグニャと歪み、立っていられずに友人と一緒にブロック塀に縋りついたのを覚えている。その後ブロック塀の下敷きになって多数の死者が出たとのニュースを見て危なかったなあと反省したものである。強い揺れに電気、ガス、水道が止まった。その日は隣のすし屋から、食事のおすそ分けをいただいたので助かった。電気と水道は翌日復旧したが、ガスの復旧は遅れ、母が七輪と練炭で煮炊きしてくれた。その姿に非常時を乗り切ろうとする家族の知恵と工夫があったような気がする。
あれから48年、明日12日はみやぎ県民防災の日となっている。私も65歳を過ぎようとしている。当時の被害や様子を社員に話しても全く知らない人も多くなった。記憶の風化を止めることはできないと理解をしているが、やはり時代の流れなのであろう。




