巧言は徳を乱す
算術と論語という本を読んでいたら”巧言令色 鮮矣仁”(「論語」学而) 巧言令色、鮮(すく)なし仁 つまり、さわやかな弁舌、人をそらさぬ応対、そんな手合いに限って仁とは、ほど遠いものだと言っている。また、孔子はこうも言っている「巧言は徳を乱す」あの2000年も前の時代から人物評的なものがあったのだなあ・・・・・・・・と感心。確かにオレオレ詐欺や振り込め詐欺など巧みな弁に騙されることが現在、社会問題化している。実行のともなわない巧みな言葉は、ややもすると、人間の道徳を乱してしまうという教えでもある。それでも面接しているとどうも弁のたつほうを採用してしまいがちである(反省)。弁がたつ応対が素晴らしいから仁がないとは全て言い切れないが、孔子が”巧言令色”を嫌ったのは、対人関係における虚飾や、内容のともなわないきれいごとを憎んだからであると言われている。表面上のカッコよさやいんぎん無礼な応対よりは、実直で素直な方が仁に近いということなのであろう。