コロナ禍で明らかになったことが一つある。それは『誰も正解を知らないということではないだろうか?』2021年、東京都に緊急事態宣言が発せられるなかで東京オリンピック・パラリンピック2020が開催された。
新型コロナウイルスの感染者が東京だけでも連日1000人を超えている状況の中に10万人以上の選手や関係者迎えるのは無謀だと開催前には中止を求める声が色々なところから上がったが、政府は、万全な感染対策を取るので安心・安全な大会が実現できると半ば強引に進められた。結果、成功であったのかそうでなかったのかは人それぞれの認識であるが・・・・・・・・・・・・。
本来トップに求められるのは「私はこれが正解だと思うからこれを実行する。その代り、間違えたら責任を取る」のがリーダーシップである。ところが自分の下した根拠となるデータを国民の前に開示して、もし間違えたら、もう逃げることはできないからデータを見せなければいいといったような姑息な判断に立つ場面が多い。それで、証拠があるのに無いと虚偽をしたり、質問に答えられる状況でないとごまかすのである。
現在のパーティー券のキックバックについて対応もまったくもって同じである。ここに説明責任はない。正解がないのは会社の経営も私は同じであると思っている。だからこそ言ったことには責任を持つ音が大事である。
自分で動いて情報を取り、仮説を立て、試行錯誤を繰り返して正解を見つけ出す。これが羅針盤のない時代の経営であり、働き方であるのではないだろうか。