人間一生の栄枯盛衰は、一場の夢にしかないというたとえから『邯鄲の夢』という故事がある。唐の開元年間、盧生という学生が、邯鄲の宿場の宿で、道士呂翁
(りょおう)の枕を借りて眠り、一生の栄華を夢でみたが、目覚めたらもとの木阿弥に過ぎなかった。この夢を見ている間の時間はわずかに宿の女中が黄染(粟)の飯を炊く時間程度であったという。
この故事の物語は、人生の浮世のはかなさやむなしさをたとえて表現している。『邯鄲の夢』の表現のほかにも『一炊の夢』『邯鄲の夢枕』「盧生の夢」『黄染の夢」などともいわれている。この故事を聞くと一場の夢であっても栄華を極めたいと思うのは、人間だしも思うものである。これが無ければ枯れてしまうのではないだろうか。私は死ぬ間際まで自分の夢や希望を追い続けていきたいと思っている。